幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

洗礼者(バプテスマ)のヨハネの死(3)・・・イエスの宣教の始まり

 マルコによる福音書1章14節、15節には、



 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」とあります。



 一見、ヨハネの働きは捕らえられ挫折したかのように見えますが、実はそこからイエスの宣教が始まったことが記されているのです。


 
ヨハネの投獄は、神や、イエスから見捨てられ、関係のない無駄な働きのように見えますが、そうではなく、「捕らえられた後・・・イエスは福音をのべ伝えたのです。



 それは、ヨハネの働きを成就し、発展させるものでした。



 さらに、マルコによる福音書6章14節から16節を見ると、イエスの働きは、ますます大きくなり、その名が知れわたっていきました。



 その時に、人々は何と言ったか、王自身なんとのべたのか、それは「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」、あるいは「わたしが首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言いました。

 

 「6:14さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 6:15他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 6:16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。」



 それは、あたかもヨハネの死によって、さらにイエスの働きが前進したように思われ、イエスの働きの拡大によって、バプテスマのヨハネの働きが成就し、進展したことを示しています。



 私自身、このマルコ6章のこのバプテスマのヨハネの死の個所を読んだ時、全く、ヨハネの死の悲惨さ、時には無念さを感じました。



 恐らく、イエスも、バプテスマのヨハネの弟子達も、ヨハネの死を悲しんだと思われます。



 また、あのヘロデヤの憎しみ、ヘロデヤの娘の踊り、ヘロデ王の優柔不断な姿、人の前で誓った手前、遂に、ヨハネの首を切ってしまうことなど、何か新聞の記事や、週刊誌に載せるような記録です。



 6章のこの個所は、ヘロデ王のこと、ヘロデヤのこと、娘の踊りのこと、そして、遂にヨハネの首を切られたことを、終始話しをすることなのかと思いました。



 しかし、あるスイスの説教者は、「この世のしたたかさと、それにもまさる、この世に働く神の言のしたたかさ」が述べられていると言うのです。





※次回に続く
 



 


 

マリアの賛歌

 

 

1:46するとマリヤは言った、

       「わたしの魂は主をあがめ、

 

1:47わたしの霊は救主なる神をたたえます。

 

1:48この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
  今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

 

1:49力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
  そのみ名はきよく、

 

1:50そのあわれみは、代々限りなく
  主をかしこみ恐れる者に及びます。

 

1:51主はみ腕をもって力をふるい、
  心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

 

1:52権力ある者を王座から引きおろし、
  卑しい者を引き上げ、

 

1:53飢えている者を良いもので飽かせ、
  富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

 

1:54主は、あわれみをお忘れにならず、
  僕イスラエルを助けてくださいました、

 

1:55わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
       とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

 

1:56マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。

戦後75年目の沖縄戦の記憶

 私の戦争の記憶は、75年前、4歳の時に始まります。


 外でポンポンポンという音が鳴り、家から出てみると、米軍機が空から爆弾を投下していました。


 昭和19年、1944年、10月10日、米軍による那覇市への空爆から始まりました。


 当時、私の家族は那覇市に住んでいました。


 両親と兄二人、姉、弟の七人でした。


 70年以上経った今でも10月10日の米軍による沖縄本島上陸、そして那覇市への爆撃を鮮明に思い出します。


 10月10日の米軍艦載機(1400機)よる那覇市への攻撃は、5回9時間に渡りました。


 第1波     朝6時30分 240機    那覇飛行場、那覇港への2時間の攻撃 
 

 第2波     朝9時頃   220機    空爆の目標は飛行場、港


 第3波     午前11時40分頃 140機 飛行場、港を中心に1時間の攻撃


 第4波     午後1時20分頃  130機 燃え残っている那覇市全体を空爆


 第5波     午後2時40分頃       那覇市はほとんど焼失



 この攻撃により那覇の町は火の海となり、那覇市の9割は焼けるものが無いと言われているほど焼失しました。


 当時那覇市にいた5万5千人の内、4万7千人の人が南へ、北へと脱出したのです。


 第5波の攻撃が収まった後、市街を見渡せる近くの小高い山に登ったことを覚えています。


 噴煙が立ち昇り、沈む太陽が血のような色をしていました。


 家族は母の実家がある、北部にある羽地村稲嶺に避難することになり、その日の夜の内に羽地を目指し家を出発したのです。



 3日3晩かかり、夜、歩いて、71キロの道を行きました。



 途中弟は、兄に背負ってもらい、私は母に手を引かれて歩いて行った記憶があります。



 又、昼は普天間の自然壕に入った記憶があります。



 まだ沖縄本島は、米軍によって南北に分断されていませんでした。北には米軍が来ていなかったのです。母の実家、稲嶺の祖父、祖母と暫く生活をしました。



 しかし、昭和19年3月23日に米軍が湊川より上陸、民間人を巻き込んだ、米軍と日本軍の沖縄地上戦が始まりました。



 私が疎開していた祖父、祖母の実家がある稲嶺の部落も危険が迫っているということ、米軍に使わせないということで、日本軍の命令で部落は護郷隊(14歳から17歳の少年兵)によって焼き払われました。



 そして、家族は山原の山奥に逃げ、戦争の終るまで、山奥で生活をしたのです。


 いよいよ北部も空襲で、姉と二人で山奥を裸足で逃げて歩いたことを覚えています。

 
 炭焼き小屋で、炭焼きの窯の中で姉と私、老婆と一緒に過ごしました。


 昭和19年8月21日「対馬丸」による九州への学童疎開で、兄二人船に乗ることになっていました。



 しかし、父親の直感だったのでしょうか、兄二人は沖縄に残されたのです。父は会社を休み、吉川英治の「宮本武蔵」を読みふけていました。そして、兄二人が対馬丸に乗ることを認めませんでした。



 「対馬丸」は学童と一般人1,700名余を乗せ、悪石島の近くまで来た時に、米軍の潜水艦ボーフィン号に3発の魚雷を受け2発が命中し、わずか11分で海に沈没したのです。



 1,500人の人々が死にました。その中には、私の親戚の者、友人の親、兄弟もいました。



 1945年6月23日に牛島中将が自決。事実上の沖縄戦が終結し、収容所生活が始まりました。


 父は捕虜収容所に、私と母、兄弟、姉は難民テントに収容されました。


 戦争は終りましたが、私は飢えによる栄養失調のため、身体を壊したのです。食糧も無く、兄がカエルをとってきてくれてそれを食べたのを覚えています。又、多くの人々同様マラリヤに罹りました。


 戦後、難民テントを出て、北部を転々とし、戦後生活が始まったのです。


 そして、4年後、9歳の時に、那覇市に帰ることができたのです。



 



 



 

洗礼者(バプテスマ)のヨハネの死(2)・・・神の言はつながれていない

 私は、ある高名な説教者の本を開いてみました。


 マルコによる福音書6章14節から22節に関するところです。


 そこにはこう述べられています。


 「しかもここを読みますと、少なくとも主人公はイエスではありません。更には、まことに劇的な仕方で、誰かが恵みをこうむったという記事かというと、そうでもない。ひとりの権力者が預言者を殺してしまったという、それだけの話しであります。先ほど、ここで説教するとしたらと言いましたけれども、ここについて説教しようと思っても、そんなにたくさん語ることはないという読み方もできてしまうかもしれない。そこで、ここのところは、読み過ごしてよいと考えることになるのか、いったい皆さんはこの記事をどんなふうにお読みになったか。今お読みになるとか。そのような問いをもう一度新しくして、この記事を読んでまいりますと、ここはまことに興味深々たるものがあります。」



 そして、高名な説教者の方は、この個所の説教題を、「神の言を殺せるか」としています。


 そして、その題をつけるに至って、あるスイスの説教者が、やはりこの個所に題をつけた時に、このようにつけたというのです。


 「この世のしたたかさと、それにもまさるこの世に働く神の言のしたたかさ」


 恐らく、このスイスの説教者の題からヒントを得て、「神の言を殺せるか」という題にしたのだと思います。


 高名な説教者は、このように説明します。


 「洗礼者ヨハネが殺されたということは、神の言が殺されたと書き直しても少しも差し支えないところであります。しかし、それでは終わらない、神の言は殺された。しかし尚、神の言は生きている、神の言は殺せません。」

 
 ここまで言われている「神の言」とは、バプテスマのヨハネのことです。神の言を語ったヨハネを殺して、あたかも神の言も同時に抹殺し、葬り去ったかのように見えます。しかし、神の言は生きている。殺せないのです。


 テモテ第二の手紙2章9節には次のように述べられています。


 「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」


 神の言は鎖も、死もつなぎとめることはできないのです。


 バプテスマのヨハネの投獄や死は、神の言葉の前進と関係しています。


 マルコによる福音書1章14節、15節に次のようにあります。


 ※次回に続く
 

洗礼者(バプテスマ)のヨハネの死

 聖書研究会の折、ある方が質問をしました。


 「どうしてこのように、神様に従っているのに、死ななければいけないのか。」と言うのです。


 バプテスマのヨハネは、神様のために働き、神様に従っているのに、どうして、一人の女性の憎しみと、その娘の踊りによって、その首をはねられ、死んでいかなければならないのか」と言うのです。


 マルコによる福音書6章14節から29節の小見出しには、「洗礼者ヨハネ殺ろされる」となっています。


 確かに、ヨハネがどのようにして殺されたか記されています。

 
 6:14さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 6:15他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 6:16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 6:17このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。 6:18それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 6:19そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 6:20それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。 6:21ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、 6:22そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、 6:23さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。 6:24そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。 6:25するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。 6:26王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。 6:27そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、 6:28盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。 6:29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。


 読めば読むほど、ヨハネの身内の側になって考えると、やりきれない思いがするでしょう。


 理不尽なヘロデ王のバプテスマのヨハネに対する処刑に対して、怒りを覚えたと思います。


 また、ヨハネの生命が奪われた動機が、一女性のヨハネに対する憎しみであり、娘の踊りによって、憎しみの思いを達成したことを思うと、ヘロデアの内に潜む憎悪の恐ろしさに絶望したと思います。


 マルコによる福音書6章14節から29節の個所は、私たちに、ヨハネの死についてのどうしようもない出来事を伝えるだけのために、ここに書いてあるのでしょうか。


 私は、長い間、色々疑問を持ちながら、この個所を読んできました。


 ※次回に続く






 
 

父の死とクリスマス・・・ままジュゴン 

 私がキリスト教にはじめて接したのは、5才の時、東京港区麻布の霊南坂にある日本キリスト教団霊南坂幼稚園に通った時です。その時から、神さまが生きているという体験をしたのです。幼い時に知ったイエス様は、七十年余も私を導いて下さっているのがわかります。

 

 特に父の死はクリスマスに連なります。それは横須賀で主人が開拓伝道の働きを始めてから十年目の冬でした。町内会館でクリスマス子供集会をしていた時に弟より電話が入り、父の食道にこぶし大のガンができ、その為手術をしなければ二ヶ月の命と、医師に言われたとのことでした。病というのは、何時でもそうですが、ある日突然くるのです。「うそ」であればと思いましたが、紛れもなく事実だったのです。「死人みたいな顔をしているよ」と主人に言われるほどショックを受けてしまったのです。

 

 いつもそうですが主人が私と父の為に祈ってくれたので、それからは不思議に神さまは私の心に平安を与えてくださり、平常心をくださったのです。数日後、検査の結果、父の手術が可能になったという電話を弟から貰いかすかな希望を持ちました。

 

 手術の日の朝、ベッドの上で父はさっぱりと髪を梳かし、新聞に目を通していました。弟や私と会話を交わした後、ストレッチャーに横たわって、手術室に入っていきました。十四時間に及ぶ手術の後、麻酔から父は覚めませんでした。ICU(集中治療室)で十人近くの医師と看護婦さんに囲まれ、七十四年にわたる生涯を閉じようとしていました。その父を見ていると、父は最後の力を振り絞って、もう一度生き返りたい、そのまま目も覚めずに死ぬのは無念である、まだやり残したことがある、と言っているように私には思えました。

 

 その私に聖霊は近づいてくださいました。死を独りでむかえている父の姿を見た時、祈らなければと思いました。意識のない父と一緒に神さまにお祈りすることにしました。「神さま、父の罪をお許しください。ただいま父は死をむかえようとしています。どうかイエス様、父に天国のお約束を、あなたが父を愛しているという確証を、与えてください。イエス様の御名によって・・・。アーメン。」

 

 祈り終わった後、聖霊によって父が神さまの腕(かいな)に抱かれたという確信が与えられたのです。神の御手に抱き取られた父は、もうこの世のものではありませんでした。意識はありませんでしたが、父が神に抱き取られたということが聖霊によって確信できたのです。神さまのところにいったので、私は安心しました。

 

 父が神さまに抱き取られたと感じた数秒後、心電図が直線になり、「臨終です」という医師の言葉を聞いたのです。

 

 死の世界もイエス・キリストは勝利してくださったという事実が、私にとって父親の死の悲しみを越える力となったのです。

 

 ICU室で医師や、看護婦さんに囲まれて死んでいった父と、羊飼いたちに囲まれ、布に包まれ、飼い葉おけに寝かされていたイエス様とがだぶって、クリスマスがくる度に思い出すのです。(ままジュゴン) 沖縄那覇市首里教会便り「がじゅまる」2.25.1995 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

生ける石

主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。(Ⅰペテロ二ノ四、五)

 

 今日の聖句は神殿とそこで働く祭司を通して、霊的家である教会を築くための勧めがなされています。

 

 神殿を造るのに石が必要でした。しかも、土台石は不可欠です。隅のかしら石というのがそれです。土台石があってはじめて建物を建てることができるのです。ところで、教会の土台石はイエス様です。この土台石であるイエス様の上に私たちという石が積み上げられて、神の家(神殿)、すなわち教会が築かれていくのです。

 

 七節の後半に「家造りらの捨てた石」とありますが、それは、四節の「主は、人に捨てられた」と同じことをさしています。つまり、イエス様が人々に捨てられ十字架にかかられたということです。この十字架の死に追いやられた方が実は土台石であるというのです。この十字架という土台石が私たちを生ける石にして下さるのです。生ける石とは新たに生まれ変わり、キリストにあって成長する人のことです。

 

 神殿には祭司がいました。祭司は神に絶えずささげ物をささげていました。今日、イエス様が天において永遠の大祭司となって下さったので、ほかに祭司は必要ないのです。でも祭司が神に絶えずささげていたように、霊的意味でささげることが大切です。では何をささげるのでしょう。それは「霊のいけにえ」と言われていますが、日常生活すべてを神様に明け渡して神様を中心にして生活することをいいます。日常生活そのものが礼拝となるような生き方です。

 

 

十字架・・・身代わりの死

 聖書に「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマの信徒への手紙4章25節)とあります。


 キリスト教の会堂の上には、よく十字架がつけられています。キリスト教と言えば、深く十字架と結びついていることは一般の方々もよくご存知です。又、映画に出てくる神父の胸に十字架が吊るされているのを見ます。そして、祈りの時に十字を切るのをよく見ます。



 十字架はキリスト教と深く結びついているのです。


 それは、イエス・キリストが二千年前、十字架においてはりつけになって死刑に処せられたからなのです。二人の強盗と一緒にイエス・キリストも罪人の一人として処刑されました。


 ところが、このイエス・キリストの十字架の死が、単なる死ではなく、人類の罪を救う死であったのです。そのことを身代わりの死と呼ばれています。


 イエス・キリストは処刑される前に裁判にかけられました。その時、イエス・キリストの裁判を司ったローマの総督ピラトは「私は、あの男に何の罪も見出さない」と言いました。

 
 しかし、ユダヤ人の扇動によって遂にピラトは何の罪を犯していないイエス・キリストを死刑に処することを同意します。そして、十字架の死刑が実行されたのです。


 一見、人間の悪意が時のローマの権力を用いて、イエス・キリストを死に追いやったように思われますが、しかし、もう一方では、聖書はそのことを通して、イエス・キリストを人間の罪の身代わりとして死なしめたというのです。人間の罪と死の身代わりとして、イエス・キリストは神によって処刑されたのです。


 そのキリストの死によって、神より罪を許され、神の前に正しく生きる者となったのです。


幸せを約束する聖書の言葉 クリスマス選集

幸せを約束する聖書の言葉 クリスマス選集

救われるには

 私たちは神に救っていただきたいと心から思っています。別のことばで言うなら、神に受け入れてもらいたいと思っています。


 私たちは、愛する人や、誰か尊敬する人に受け入れてもらいたいと思う時、自分の良い点や立派な点を何とか評価してもらって、受け入れて欲しいと思うものです。その為に一生懸命努力するのです。もし、旨くいって、認められたとすると何故認められたのでしょう。そうです。その人の努力と長所が認められたのです。


 ところで、反対に自分が認められたくても、何の取り柄も無く、これといった長所も無く、人々から見て全然駄目だということになるとどうでしょう。全く絶望的な気持になるかもしれません。


 もし、仮に素晴らしい人が現れて、この駄目人間を愛し、好きになったとしましょう。それは何故でしょう。駄目人間の持っている長所でなく、素晴らしい人が彼をただ愛し好きになったからです。


 神は、私たちを救われるには、神が私たちを愛しておられるからです。確かに、人間同士比べて見ると、立派な人もいれば、そうでない人もいます。しかし、神と人間と比較すると、第一比較することが出来ませんが、どんな立派な人間でも、神が余りにも清く、正しく、愛の方であるために、神の前には汚れた者に等しいと言われているのです。


 神が人間を救われるのは、神が人間を愛されているからです。その愛はどれ程のものでしょうか。


 ヨハネによる福音書3章16節にこう書いてあります。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」


 それは、神は全天を傾けて、人間を愛されご自身を人間にお与えになった程の愛をいうのです。


 あなたがどのような人であっても、神はあなたを愛して救われるのです。

神の変ることのない生けるみ言葉

あなたがたが新たに生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言(みことば)によったのである。

                         (Ⅰペテロ一ノ二三)

 

 私たちが互いに愛し合うようになったのは、新たに生まれバプテスマを受け教会に加わったからです。

 

 それは、新しい命と愛をもらったからにほかなりません。このような経験を新生と呼び、さらに教会で共に成長するのを聖化と呼んでいます。

 

 その経験の源は、朽ちない種、すなわち神の変ることのない生けるみ言葉であると聖書は告げています。

 

 生けるみ言葉はキリストの福音にほかなりません。キリストの福音が私たちの心を捕らえ新たにしてくださったのです。具体的にはイエス様が十字架にかかり死んでくださったこと、そして墓に葬られ三日後によみがえって天に帰られたことです。そのイエス様の十字架の死と復活によって私たちに新しい命と愛の世界が開かれたのです。

 

 生けるみ言葉、すなわちキリストの福音は、まず永遠不変のものであり、それ自体生命を持っています。そして、受け入れる者に永遠不変の命を与えるのです。

 

 ペテロはイザヤ四〇章六節から八節までを引用して、人間のはかなさと対比して永遠の命のみ言葉の絶対性を述べています。人の一生は草にたとえられ、人間の功績や栄華は草の花に譬えられています。そしていずれも枯れてしまい散ってしまうのです。

 

 「『しかし、主の言葉は、とこしえに残る』。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」(二五節)。

 

 毎朝、神のみ言葉である聖書を通して福音そのものであるキリストに触れるとき、私たちは永遠の命に生きていることを知るのです。

 

 

 

 

忍 耐

「だから、兄弟たちよ。
主の来臨の時まで耐え忍びなさい。
見よ、農夫は、地の尊い実りを、
前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。
あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。
心を強くしていなさい。」 (ヤコブの手紙5章7,8節)



 同じヤコブの手紙5章7,8節を新共同訳で見てみましょう。


「兄弟たち、
主が来られるときまで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
あなたがたも忍耐しなさい。
心を固く保ちなさい。
主が来られる時が迫っているからです。」


 「耐え忍ぶ」が新共同訳では「忍耐」と訳されています。


 「忍耐」はやせ我慢ではありません。


 主に対する熱心な期待をあらわす言葉だと思います。農夫が秋の雨と春の雨を経て、遂に収穫する時のことを夢見て、農作業に精を出すのです。


 収穫に至ったときの喜びは言葉ではあらわせないでしょう。喜びを歌や踊りにあらわしたくなるほどです。


 主が来られるのを待つキリストを信じる人々は、今にも主ご自身がお出でになるのではないかと熱心に期待するのです。


 考えて見ますと、初代のクリスチャンが主の再臨を熱心に待ち望んでから、二千年近く経っています。


 彼らの期待と忍耐は無駄だったでしょうか。


 そうではありません。


 時が近いから、あるいは遅くなっているから熱心になったり、不熱心になったりするとなると、それはキリストを信じているのでなく、時間を信じていて、自己の打算から出たものでしょう。


 キリストの再臨を信じる者は、再臨が近いか遅いかでなく、今、再臨があるものとして、期待と忍耐をもって熱心に待つのです。


 信仰とはそういうものであり、その時はじめて私たちの信仰が、本物と言えるのではないでしょうか。

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自由な心

 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。 (ヤコブの手紙4章15節)


 私たちの人生の支配者はだれでしょうか。



 神様でしょうか。それとも私自身でしょうか。



 もし神様が私たちのすべてを支配していると信じるなら、すべての計画や考えを主に委ねなければならないでしょう。



 「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」とありますが、ここに主に委ねた人の自由さがあります。自分の考えや計画にこだわらない、大らかさがあります。



 ときに、私たちは自分の良い考えや、正しい意見が神のみこころと思いたくなることがあります。そして、是が非でもそれを押し通さねばならないと思うときがあるのです。



 しかし、神の導きは、人の思いを遥かに越えているときがあり、人間の知恵の限界を知らされます。



 さて、主のみ心はどのようにして表されるのでしょうか。



 それは日々の摂理に表されるでしょう。また、まわりの人々を通して表されるでしょう。その時に、そこで表される、主のみ心を知る霊的な目と、み心を受け入れる、へりくだった心が必要です。



 そのために絶えず心を神様にささげる必要があります。自分の大切にしている主義主張や、考えさえも神様のもとにおく必要があります。



 その時、本当の意味の自由が自分のものになるのではないでしょうか。そして、示された神のみ心を心から行うときに、神の不思議な力を見ると思います。



 神様の支配に委ねて、自分の思いや考えでなく、み心をなすとき、真の自由が私たちのうちに成就するのです。


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