幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

マリヤとマルタ

イエス・キリストがマリヤとマルタの姉妹の所へおいでになった記録が聖書に載っています。 妹のマリヤはイエス様の話しを熱心に聞き入っていました。 一方お姉さんのマルタはイエス様を心から接待しようと忙しく働いていたのです。 ところが、接待の準備が思…

絶えず祈る必要(3)… ひっきりなしにやって来るから …

イエス様は、ルカによる福音書18章2節以下で、一つの譬え話をしました。 18:1また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。 18:2「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。 18:3ところが、その同じ町にひとりのやも…

絶えず祈る必要(2)… 気を落とさずに …

ルカによる福音書18章1節を見ると、 「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちに譬(たとえ)を話された」とあります。 ここで、先ず心に留める言葉は、「気を落とさず」と言う言葉です。 口語訳では、「失望せ…

絶えず祈る必要(1)

私たちは、祈り無しにクリスチャン生活を送ることは出来ません。 いや人生を送ることができないと言っても過言ではないかと思います。 私は、日々、神様に祈ってお願いしなければやっていけない弱い存在です。 イエスは、世の終りに生活している私たち一人一…

ジョン・カルヴァン、別れの言葉

宗教改革者、ジョン・カルヴァンは55才で召されました。 彼の最後の言葉は慰めに満ちています。 50才の頃に、既に右足を痛めて、ステッキを突いていたそうです。 あまりに痛みがひどい時には、友人に支えられてようやく教会堂を訪ね、説教壇に上がること…

母の感化

母の思い出に、雨の降る日に一つの話を聞かせてくれたことを思い出します。それは芥川龍之介という作家の「蜘蛛の糸」というお話でした。 その頃、私は小学5年生で無我夢中で遊ぶことに熱中していました。落ち着きのない私は学校でいつも先生に叱られてばか…

救い主の働きの始まり ・・・ イエスによる再創造

イエスに“霊”が注がれたのは、メシア(救い主)の就任であり、再創造の始まりでした。 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。水の中からあがるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように降って来るの…

パウロに何が起きたか

パウロは、何が、どう変わったのでしょうか。 確かに彼は迫害者から使徒、そして殉教者になりました。 何故迫害したのでしょう。感情的にクリスチャンに対して面白くなかったからでしょうか。 ピリピ人への手紙3章5節をみると、何故パウロが教会を迫害した…

福音の喜び

福音は喜びをもたらします。 それは、福音そのものにあずかる喜び、伝える喜び、福音によって救われる人々を見る喜びがあるからです。 神の子イエス・キリストが来られるのを伝える声として、バプテスマのヨハネが荒野で働いていました。その荒野に、各地か…

ままジュゴンの「迷い」と「決断」

私が難病に指定されている特定疾患のパーキンソン病(神経難病)を発病したのは、15年前の10月15日です。60才の時でした。自動車を降りてある建物の入口に向かったその瞬間、足が前に進まない、体と足が鉛のように重い・・。これは何か病を発症した…

神はあなたのところへ来られる

ユダヤの人たちは長い間、自分たちの救い主を待ち望んでいました。 その期待は、キリストの来られることで成就したのです。主イエスが来られるとき、それを告げる声がありました。旧約に預言されたバプテスマのヨハネでした。 マルコによる福音書1章3節の…

み国(神の国)の到来

ダニエル書2章44節、45節には、永遠の神の国が樹立されることが描かれています。 天の故郷と呼んでいる神の国です。 「この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべて…

神の国のしるし、権威ある新しい教えと奇跡

主イエスは、ペテロと他の3人の弟子たちと、安息日(土曜日)の礼拝日に会堂へ行きました。そこで、イエスは、神の国について語られました。 会衆にとって、今まで経験したことのない圧倒的な力と新しい教えに接したのでした。会衆は、驚き、驚嘆しました。…

生かされている

四季折々の移り変わりの中で、ハッキリと自分が生かされているのだと、自然界を通して、実感する時があります。 教会の牧師には、何年かすると、転勤がやってきます。三月の終りから、四月の初めにかけて、新しい教会に赴任するのです。 春の訪れを伴う新し…

再臨のイエス・キリストを迎える(4)・・・救いを得るように定めた

イエス・キリストの再臨を迎える根拠となるのは何でしょう。 パウロは、テサロニケ第一の手紙5章9節から11節に述べています。 「神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定…

再臨のイエス・キリストを迎える(3)・・「目をさまして慎んでいよう」

イエス・キリストの再臨の日時を知らず、突如としてイエス・キリストがおいでになる。そしてそれは逃れることのできない確実なものであるならどうすればよいのでしょう。 パウロは4節から8節の中で、「目をさまして、謹んでいよう」と訴えています。 「あ…

再臨のイエス・キリストを迎える(2)・・・再臨の日は誰も知らない

イエス・キリストの再臨、それは突如やってくるのです。 盗人が夜来るように、特に、人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、突如として滅びが襲うというのです。 イエス・キリスト自身も、マタイによる福音書24章42節、43節で次のように言われて…

再臨のイエス・キリストを迎える

「セブンスデー・アドベンチャーさんですか」と言われることがあります。 私は、「はい」と答えたのですが、正式には、セブンスデー・アドベンチストです。 アドベンチストというのは、辞書で見ると、キリスト再臨論者となっていました。また、他の辞書を見…

人間の愛と意志の限界

小さい頃、友達と議論していて、自分の言っている事が間違いないと主張するために、「絶対に」という言葉をよく使ったものです。 約束を絶対守るとか、絶対ウソをつかないとか言ったものです。それは、単なる強がりで、真実味がありません。大人になってくる…

私はあなたと共にいる ︙

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」イザヤ書41章10節

恵まれているように

人生の旅は、自分探しの旅であると、ある人は言います。 人生の旅で様々な出会いを通して、あるべき自分にたどり着くということです。 聖書の中に、「あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるように祈っている」(ヨハネの…

終わりについて

聖書は「終わり」ということについて、特に強調しています。 人生の終わり、この世の終わりについて語っています。始めがあれば、終わりがあるのです。 ところで、終わりは終わりでしょうか。映画の画面に、The end という文字が出ます。終わりという意味で…

心を騒がせないがよい

心の支えが失われた時、頼りにしていたものが、当てにならなくなったり、又、先が見えなくなると、私たちは、不安になるのではないでしょうか。 イエスは、弟子たちが心を騒がせ、不安に思っているからこそ、「神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネに…

忍耐して祈る、信仰をもって祈る

イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを…

忍 耐

「だから、兄弟たちよ。 主の来臨の時まで耐え忍びなさい。 見よ、農夫は、地の尊い実りを、 前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。 あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。 心を強くしていなさい。」 (ヤコブの手紙5…

福音を恥としない(3)・・・救いをもたらす神の力

マルコによる福音書8章38節に、イエス・キリストの言葉があります。 「邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。」 イエス…

福音を恥としない(2)・・・愚かにみえる

ローマ人への手紙1章15節には、 「そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。」(口語訳) 新共同訳では、「是非…福音を告げ知らせたいのです」とパウロは言っています。 また、ある人は、この…

福音を恥としない

パウロはローマ人への手紙1章14節で、 「わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。」と述べています。 「果たすべき責任がある」という言葉の中に、神様の大きな憐れみとお恵みをみます。 具体的には、パウ…

ペテロの説教

今日、子供たちが自殺したり、又親が子を殺し、子が親を殺すという悲惨な事件は、人間の本来の姿を失っていることを現しています。 本来の人間の姿とは、神を愛し、人を愛し、神の戒めを守ることです。 私たちも祈ること、み言葉を学ぶこと、賛美し、神を礼…

人の罪と、苦しみ、悲しみを荷なうバプテスマ

イエス・キリストが、この世に来られたのは、人間に救いをもたらし、希望を与えるためでした。 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けられた」 (マルコによる福音書1:9) イエスが、バプテスマ…