幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

人間の愛と意志の限界


 小さい頃、友達と議論していて、自分の言っている事が間違いないと主張するために、「絶対に」という言葉をよく使ったものです。



 約束を絶対守るとか、絶対ウソをつかないとか言ったものです。それは、単なる強がりで、真実味がありません。大人になってくると現実的になってきて、そのような言い方をしなくなりますが、時として、自己過信から、ついつい強く言いたくなるものです。


 
 イエス・キリストの十二弟子の一人、ペテロもその一人でした。



 信じやすく、好き嫌いがはっきりしていて、多少自信が強すぎました。



 彼は、イエス・キリストに対する忠誠心は、誰にも負けないと思っていましたので、どんな危険な事や不利な立場に立っても、イエス・キリストを裏切ることはないと思っていましたし、キリストの為なら死んでもよいと思っていたのです。



 ところが、イエス・キリストが捕らえられて大祭司の庭に連れてこられた時、ペテロも同じく中庭にいて、周りの人から問われた時、三度も主イエスを知らないと言って否認しました。



 特に、三度目にキリストを否認した時、鶏が泣き、主イエスが振り返ってペテロを見つめたのです。



 ペテロは主イエスの優しい目に出会い、そして、前にペテロに語られた、主イエスの言葉を思い出して、外に出て激しく泣いたのでした。



 ペテロは主イエスを否認することを通して、自らの愛がいかに薄っぺらであり、又、自分の信念や意志力が厳しい現実の前には無力であるかを知らされたのでした。



 人間は自分が思っている以上に弱い存在だということをこれ程知らされたことはなかったでありましょう。と同時に、主イエスはすでにそのことをよくご承知の上でペテロの事を配慮し、彼のために祈られたのでした。



 裏切り、否認するペテロを全的に受け入れ、抱きとめて、キリストの愛の中で彼を真に力強い人間につくり変えつつありました。