幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

福音の喜び

  福音は喜びをもたらします。


  それは、福音そのものにあずかる喜び、伝える喜び、福音によって救われる人々を見る喜びがあるからです。


  神の子イエス・キリストが来られるのを伝える声として、バプテスマのヨハネが荒野で働いていました。その荒野に、各地からヨハネの話を聞くために大勢の人が集まってきました。


  彼の姿は、ラクダの毛衣を着ていて、旧約聖書に出てくる、有名な預言者エリヤと同じ服装をしていました。


  彼は、罪の赦しを得るために、悔い改めのプテスマを宣べ伝えていたのです。悔い改めのバプテスマというのは、生活を神に向かって方向転換するのを意味し、その証として、バプテスマ(水に体を沈める儀式)を受けるのでした。ユダヤの各地から集まった人たちは、ヨハネの話を聞いて、罪を告白して、ヨルダン川でバプテスマを受けたのです。


  バプテスマのヨハネの働きは、イエス・キリストが来られるのに備える働きでしたから、人々が神に立ち返って、罪の赦しを得て、バプテスマを受けるのは、キリストを迎える準備だったのです。ですから、彼は、イエス・キリストについて人々に、こう宣言したのです。
 

「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる。」マルコによる福音書1章7節、8節


  バプテスマのヨハネは、自分が今まで過ごした年月は、イエス・キリストをお迎えするその一点にかかっていました。今、そのお方にお会いする時が迫っていたのです。彼の心はその期待で張り裂けんばかりでした。そして、人々にその方にお会いさせる働きに喜んで没頭したのです。多くの人が、続々とやって来て、バプテスマを受けるのを見たとき、神の救いの力を見たのです。


  イエス・キリストを信じる喜び、信じて働く喜び、その結果人々を救う神の力を見る喜びがあるのです。

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