幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

忍 耐

「だから、兄弟たちよ。
主の来臨の時まで耐え忍びなさい。
見よ、農夫は、地の尊い実りを、
前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。
あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。
心を強くしていなさい。」 (ヤコブの手紙5章7,8節)



 同じヤコブの手紙5章7,8節を新共同訳で見てみましょう。


「兄弟たち、
主が来られるときまで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。
あなたがたも忍耐しなさい。
心を固く保ちなさい。
主が来られる時が迫っているからです。」


 「耐え忍ぶ」が新共同訳では「忍耐」と訳されています。


 「忍耐」はやせ我慢ではありません。


 主に対する熱心な期待をあらわす言葉だと思います。農夫が秋の雨と春の雨を経て、遂に収穫する時のことを夢見て、農作業に精を出すのです。


 収穫に至ったときの喜びは言葉ではあらわせないでしょう。喜びを歌や踊りにあらわしたくなるほどです。


 主が来られるのを待つキリストを信じる人々は、今にも主ご自身がお出でになるのではないかと熱心に期待するのです。


 考えて見ますと、初代のクリスチャンが主の再臨を熱心に待ち望んでから、二千年近く経っています。


 彼らの期待と忍耐は無駄だったでしょうか。


 そうではありません。


 時が近いから、あるいは遅くなっているから熱心になったり、不熱心になったりするとなると、それはキリストを信じているのでなく、時間を信じていて、自己の打算から出たものでしょう。


 キリストの再臨を信じる者は、再臨が近いか遅いかでなく、今、再臨があるものとして、期待と忍耐をもって熱心に待つのです。


 信仰とはそういうものであり、その時はじめて私たちの信仰が、本物と言えるのではないでしょうか。

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