幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

フィリポの主イエスとの出会い

 原点とも呼ばれる出会いが、人それぞれあるのではないでしょうか。



 その出会いが、人間同士の出会いを越えて、神との出会いにつながるとき、そこには、言葉で現せない、人に対する神の測り知れないお恵みと愛を見ます。



 聖書の中には、様々な形で神様に出会い、そのみ声を聞いた人達がいます。



 ヨハネによる福音書1章43節から49節には、イエス・キリストに出会った人達が出てきます。

 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人でヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエル王です。」


 神との出会いは、神からの出会いです。



 フィリポに呼びかけられたのは、イエスの方からでした。また、フィリポがナタナエルに出会って、主イエスのもとへ連れて行ったとき、イエスは、すでにナタナエルを知っていて、ナタナエルに「いちじくの木の下にあなたがいるのを見た」と言われたのです。



 「いちじくの木の下にいるのを見た」とイエスに言われたとき、ナタナエルは衝撃を受けました。「先生、あなたは神の子です、イスラエルの王です」と叫んでしまったのでした。



 いちじくの木の下にで、ナタナエルはメシアの到来を祈っていたのです。


 
 その祈りの答えとして、語りかけたイエスご自身に、ナタナエルは驚き禁じえませんでした。



 バークレーは次のように解説しています。



 「ナタナエルを驚嘆させたのは、彼がいちじくの木の下にいるのを、イエスが見られたからではない。それは、イエスが彼の心の奥底にある思いを読みとられたという事実であった。そこで、彼は心の中で言った。「私の心の願いを理解する人がいるとは!私の心の奥底にある秘密の望みを、見抜いている人がいるとは!それを口に出して言おうとしたこともないのに・・・私の魂の、口に表せないうめきを表現し得る人がいるとは!この人は神の子、神の約束されたメシアに違いない。それ以外ではありえない」。



 フィリポは、イエス・キリストの呼びかけを通して、生ける神の呼びかけを聞きました。そして、彼の人生は変わったのです。


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