幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

心を騒がせないがよい

 心の支えが失われた時、頼りにしていたものが、当てにならなくなったり、又、先が見えなくなると、私たちは、不安になるのではないでしょうか。

 
 イエスは、弟子たちが心を騒がせ、不安に思っているからこそ、「神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネによる福音書4章1節)と言われたのでした。

 
 弟子たちの心を騒がせ、不安にさせたのは、「あなたがたは、わたしの行く所に来ることはできない」(ヨハネによる福音書13章33節)とイエスが言われたことでした。


 そして、ヨハネによる福音書13章36節で、「シモン・ペテロが、イエスに言った。『主よ、どこへおいでになるのですか。』イエスは答えられた。『あなたは、わたしの行くところに、今ついて来ることはできない。しかし、あとになってからついて来ることになろう』」と言われました。


 更に、ペテロはヨハネによる福音書13章37節で、「主よ、なぜ今あなたについて行くことができないのですか」と言いました。


 また、ヨハネによる福音書14章5節で、「トマスはイエスに言った。『主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道は、わかるのでしょう。』」


 弟子たちは、周りが困難に見える中で、心から信愛しているイエスが、どこかへ行ってしまうということに不安を覚え、心を騒がせたのです。


 イエスが、これから行こうとしている道は、十字架の道でした。弟子たちはその道について行くことができませんでした。  


 ところが、主イエスが復活され、弟子たちにご自身を現されると、弟子たちの信仰もまた復活したのでした。


 復活の後、40日後にイエスは天にお帰りになりました。勿論弟子たちはついて行くことができません。またもや淋しい思いをしたでしょう。


 ところが、聖霊が弟子たちに注がれることで、弟子たちはイエスと一つになることができました。


 イエスが、弟子たちのついて来ることのできない十字架の道や、天にお帰りになる昇天の道は、実は、弟子たちや私たちが神様のところへ帰ることができる道を切り開くためでした。


 一見、イエスは弟子たちから離れて、弟子たちの来ることのできない所へ行ってしまったかに見えましたが、実は弟子たちや、私たちを引き寄せる為に、十字架と復活の道、天にお帰りになる道へと進んで行かれたのです。


 その不安を感じている弟子たちにイエスは約束しました。


 「またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」(ヨハネによる福音書14章3節)


 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰ってくる」(ヨハネによる福音書14章18節)


 「もうしばらくしたら、もはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである」(ヨハネによる福音書14章19節)


 再臨によって帰ってくる、聖霊によって帰ってくる。復活によって、あなたがたを生かす。
と聖句は述べています。


 今日、わたしたちは、主イエス・キリストの復活により、又、聖霊が与えられることで、主イエスがわたくしの所へ来られていることがわかります。


 それによって、わたしたちは、心を騒がせないで、平安を得るのです。


 そして更に主イエスの再臨によって、顔と顔を合わせて相見るのです。そのことを予告されて、主は弟子たちに不安をなくし、希望を与えてくださったのです。



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