幸せを約束する聖書の言葉

あなたが聖書のみ言葉に接するとき、心に満足と喜び平安が与えられます

イエスは、キリストである

 テサロニケは、現在ギリシャの第二の都市といわれる大きな町です。


 パウロが伝道した当時も、マケドニヤ地方の第一の都市でした。


 そのテサロニケにおいて、パウロは、旧約聖書を用いて、ユダヤ人にもギリシャ人にも、イエスはメシヤであり神の子であることを伝えたのです。


 反対があり、迫害もある中で福音を伝えました。


 使徒行伝17章1節から3節までを見ると、ユダヤ人の会堂で、聖書に基づいて論じ伝道したことが分かります。


 「一行は、アムピポリスとアポロニヤをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また『わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである』とのことを、説明もし論証もした。」(1節から3節)


 その結果4節にあるように、パウロの教えを受けて、信仰を持った人達のことが出ています。


 「ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシャ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。」(4節)


 ところが5節から、ユダヤ人のねたみのために、迫害が始まります。そこで、信仰をもった兄弟たちはパウロとシラスを、夜の間にベレヤに送り出したのです。(10節)

 
 パウロは、先ずユダヤ人が、どの地方にもいて、会堂を建てて、そこで、神様を礼拝していましたから、そこへ行って伝道したのです。ユダヤ人は旧約聖書を神のみ言葉として信じていたので、旧約聖書に基づいて話しをしたのです。


 まだ新約聖書はできていませんでした。


 パウロが、まず、旧約聖書に基づいて論じたことは、「聖書に記されているメシヤがすでに来た、あらわれた」ということを話したのです。


 そして、そのメシヤは、イザヤ章53章にあるように苦難を受け、十字架の死を経験し、3日目に復活したことを論じたのです。


 その苦難のメシヤは、ナザレ出身でイエスという名を持つ人で、その人こそメシヤ、救い主、キリストですと証明したのでした。


 このパウロの論証の仕方は、イエスご自身のやり方と似ていました。


 ルカによる福音書24章には、、イエスの弟子が、イエスはメシヤであると期待をかけていたのですが、イエス様が十字架に架かって死んでしまい、復活を信じることができませんでしたから、失望しがっかりしていたのです。


 そこへ、復活されたイエスがご自身を現し、旧約聖書をもって、メシヤの苦難と復活を教えたのです。


 使徒行伝17章2節から3節に、


 「キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえること、また、「わたしがあなたがたに伝えているイエスこそは、キリストであることを説明し、論証もした」とあります。


 パウロは次のように述べています。


 「兄弟たちよ、あなたがた自身が知っているとおり、わたしたちがあなた方の所にはいっていったことは、無駄ではなかった。それどころか、あなたがたが知っているように、わたしたちは先にピリピで苦しめられはずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである。」(テサロニケ第Ⅱの手紙2章1節、2節)


 パウロを苦しめたのは周囲のユダヤ人でした。そしてそれは、ねたみの心から出たものでした。


 使徒行伝17章5節には、


 「ところがユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうとしきりに捜した。」


 パウロは、聖書に基づいて、あのナザレ出身のイエスという人物こそが、メシヤであり、救い主、神の子であると伝えたのです。   
 そして、そのメシヤは苦難のメシヤであり、しかし復活し、天におられ、再臨する主であると伝えたのです。


 その伝えられたイエス・キリストを心から信じた時、人々は救われ、変えられたのです。


 テサロニケ第一の手紙1章6節から10節


 「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった。すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。

 わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所はいって行ったか、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、そして死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。」




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