幸せを約束する聖書の言葉

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パウロに何が起きたか

 パウロは、何が、どう変わったのでしょうか。


 確かに彼は迫害者から使徒、そして殉教者になりました。


 何故迫害したのでしょう。感情的にクリスチャンに対して面白くなかったからでしょうか。


 ピリピ人への手紙3章5節をみると、何故パウロが教会を迫害したか、そのヒントが得られると思います。


 「律法に関しては、厳格なファリサイ派の一員、律法を守ることに対する熱心さでは、教会を迫害する程であり、律法を守ることにおいては非のうちどころがなかった」というのです。


 教会はパウロにとって、律法を破るもの、律法を無視する、とんでもない異端にみえたのです。


 ステパノを殺すことに賛成したのも同じ理由でした。


「サウロ(パウロ)は、ステパノを殺すことに賛成していた。」(使徒行伝8章1節・口語訳)


そして教会を生み出した主イエスは、律法を破る者、人々を惑わす者と思ったのです。


 ところがダマスコの途上でイエス・キリストに出会った時、彼は律法を守ることが神に生きる救われる道と思っていたことから、キリストにあって生きることが救いに至ることであり、本当の意味で律法を守ることであると確信したのです。


 「律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づく神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。」(ピリピ人への手紙3章9節)口語訳


 「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神のみ子を信じる信仰によって、生きているのである。」(ガラテヤ人への手紙2章20節)口語訳


 「それでは、パウロはなぜ律法熱心の生き方を捨てたのか。それは、この生き方はつまるところ、人間の力による救済を目指す生き方であることに、彼の目が開かれたからであった。律法熱心の生き方では、実際には人が律法を守るかが決めてと見なされ、神はただそれに応えて、その人を祝福したり、退けたりするにとどまる、神に対する忠実さが唱えられているが、現実には、神は彼らに押しやられ、従の位置を保つにすぎない、彼はこのことに気付いたのである。」 佐竹明(使徒パウロ 回心 75頁より引用)


 パウロは、イエス・キリストとの出会いによって変えられました。迫害者から使徒へ、そして殉教者へ。


 また、教会を通して、更に深くキリストを知り、自らの使命を教えられました。


 彼の今までの価値観は、律法を守ることで、救いを得ると思っていました。イエス・キリストに出会うことで、イエス・キリストを信じ、従うことで、救いがあることを理解したのです。



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