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十字架のキリストを伝える・・・(3)死を克服する力

 当時、ギリシャ人から見ると、十字架の教えは愚かなものでした。


 ギリシャ人の考える神は、人間世界から遠く離れ、不動で、何も感ずることができないものと考えていました。


 神が嘆き、悲しみ、怒るということは、どんでもない考えでした。神は不動で、変わることがないから、神が人間となる…つまり、受肉といった考えは、ギリシャ人にしてみれば、考えただけで吐き気をもよおす思想でした。


 以上のようにみていくと、ユダヤ人、ギリシャ人がつまづいた理由、愚かであるということが分かるような気がします。


 ところがパウロは、この愚かでつまづきとなるイエス・キリストの十字架の死が、信じる者にとって、救いにあずかる神の力であると言っています。


 コリント人への第一の手紙1章23節でパウロは


 「十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人には、つまづかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも神の力、神の知恵たるキリストなのである。」
と述べています。


 この十字架のキリストは、彼にとって慰めであり(①)、復活のあらわれであり(②)、弱い時の力(③)でした。


  ①1:3ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 1:4神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。 1:5それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。 1:6わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。 1:7だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。 (コリント第二の手紙1:3−7)



  ②4:7しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 4:8わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 4:9迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。 4:10いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 4:11わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
(コリント第二の手紙4:7−11)



  ③ 12:9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 12:10だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
(コリント第二の手紙12章9節ー10)



 これはまさに十字架につけられたキリストが復活され、その力をあらわしたのです。そしてそれは私たちの体験です。


 それはまた、死を克服する力です。